ZAMDA第10号訂正箇所

ZAMDA第10号(第二刷)訂正箇所

(以下は小誌第10号22ページに入る正しい文章です)

切って活弁バージョンでコメディにしちゃったりとか。活弁というやり方の面白さをまずわかってもらうにはそれが一番都合がいいんですよね。だからそういうことは今後もやっていくつもりです。
 実は「秘宝館」の酒徳ごうわくさんともコラボレーションしたことがあるんですよ。酒徳さんのちょっとエド・ウッド風のSF物で、まずオリジナルのバージョンを流して、その次に活弁バージョンを流すっていうのもやったことがありますね。だから相手の作家さんがいやでなければ……。
―― これからもコラボレーションしていくと。
山田 そういえば若松孝二監督20のイベントでは『若松活弁』というのもやらせていただきましたしね。ようするに若松監督の映画から勝手な解釈のもと色々(カットを)抜き出してきて、それを編集して勝手なストーリーを一本つくってしまったわけです。若松監督本人を主人公にしちゃって、最後は爆弾持って空港に行くとか、そういう話を(笑)。
―― でもそういうふうに編集されることで若松監督のスピリッツがより色濃く出てくるんじゃないですか。
山田 そうかもしれませんね(笑)。
―― よくディレクターズカット版とか言いますけど、こうなると「活弁カット」とかそういう言い方もできそうですね。
山田 そう言い張っていきたいところですけど(笑)。

16 でもテレビにいたっては〜――編集部・近藤は、かつてオウム騒動の最中、たしか麻原彰晃が新宿で何かが起こると予言した日に、ちょうど現地で取材していたどこかのテレビ局のクルーを写真に 撮ったところ(近藤自身も某誌での取材中だった)、すぐさま彼らから「断りもせずに撮るな」と注意されたことがある。しかしそっちだって、勝手に街の様子をカメラで撮ってるわけだし、お互い様じゃないか、という気もした。

17 団地妻――作品集(ビデオ)『山田広野の活弁ナイトストーリー』にも収められた『異常性愛団地妻』(二〇〇〇年)のこと。団地妻というタイトルにも、山田さんの日活ロマンポルノからの影響が感じられる。

18『珍プレー好プレー』――文化放送の局アナをやめたのち、名古屋の小さな水道会社で営業にまわっていた(しかも伊豆の自宅から新幹線通勤していたという)みのもんたが一九八三年、フジテレビ『プロ野球ニュース』のスタッフからの依頼で引き受けたのがこの仕事。これによって彼が見事、再起を遂げたのは周知の通り。

19 博品館劇場という大きな〜――二〇〇二年五月二日に新橋の博品館劇場で行なわれた「坂本頼光のルネッサイレントの世界」のこと。坂本さんが『瞼の母』を堂々熱演したのに対し、山田さんはインタビュー中で語っているような作品で、客席の老人たちを唖然とさせた。

20 若松孝二――一九六〇年代よりピンク映画界でエロを隠れ蓑に(?)、政治色の濃いものや前衛的なものなどやりたい放題やってきた異色の映画監督。七一年には、若松プロ所属の足立正生とともにパレスチナに赴き『赤軍−PFLP・世界戦争宣言』を撮った。


映画館でのバイトで
身につけた語り口調

―― ところで山田さんの語り口調は非常に流麗ですけど、誰かをモデルにしたっていうのはあるんですか。
山田 ないんですよね。ただ、ぼくは学生時代、映画館でアルバイトしていた時に呼び込みをやってたんですよ。上野東宝・宝塚という上野の映画館で――まあ宝塚っていうのは洋画系で、東宝は邦画系の映画館なんですけど――東宝の直営館でも有楽町とか上野の劇場に関しては、呼び込みがありまして。それでバイトの男はみんな、客入れのちょっと前にはマイクを持って、次の映画の宣伝とか席が空いてるかどうかっていうのもいちいち説明するんです。さらに客入れの一五分ぐらい前になったら、今度